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悼公(とうこう、? - 紀元前477年)は、秦の第16代公。恵公の子。 == 生涯 == 恵公の子として生まれる。 恵公10年(前491年)10月、恵公が薨去したため、後を継いで秦公となった。 悼公2年(前489年)秋、斉において主君殺しがあり、斉の悼公が即位した。しかし、その4年後(前485年)に悼公も殺され、簡公が即位した。 悼公9年(前482年)夏、晋と呉が黄池〔現在の河南省。〕において会盟した際、呉王夫差が晋に代わって盟主となり、覇者となった。 悼公12年(前479年)〔『史記』では悼公12年(前479年)であるが、『左伝』では哀公14年(前481年)としている。〕夏、斉で三度主君殺しが起こり、簡公が殺され、平公が立った。この時、簡公を殺した田常が宰相に就任した。 悼公14年(前477年)、薨去し、子の厲共公が立って秦公となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「悼公 (秦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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